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ラマダーン明けのお祭、コリテ。
今年は昼間っから油こってりのセネガル料理を5軒ハシゴした一日だった。

まずは1軒目。
いつもお世話になっているおばちゃんの家。

P1070865.jpg IMG_2670.jpg

そして2軒目。
引っ越してから近所になったこともあり、
たびたび行くようになった家。子どもが可愛い。

P1070880.jpg P1070875.jpg

次、3軒目。
活動村ンダンガンサンブのおばちゃんち。

P1070895.jpg

ご飯は豆ソースだったけど、残念なことに写真を撮り忘れた

4軒目もンダンガンサンブ。
ここは運良く?!昼食が終わっており、
フードファイターの刑を免れた(苦笑)。

そして最後、5軒目は配属先上司の家。
一度帰宅して水浴びし、セネガル服に着替えてからの出直し。

IMG_2703.jpg

この家の子どもたちは男女ともに美形ぞろい。

IMG_2709.jpg

その美形たちが夜の闇にも映える鮮やかなセネガル服で
アタシたちボランティアを迎えてくれた。

そしてこの日最後のコリテご飯。

IMG_2711.jpg

クスクス・モロケン(モロッコ風クスクス)だったんだけど、
いつも美味しいはずの水産局のご飯は、薄味すぎてイマイチ。
ある意味、疲れ果てた胃袋を労わる美味しいご飯だった。

そして帰宅して、青少年活動隊員B氏とビールで口直し。
こんな感じで今年のコリテは幕を閉じた。


上述の通り、世の人々がフードファイターと化す日、コリテ
この日、村の多くの家庭では鶏が潰され、肉の王道・牛を売る肉屋は大繁盛。
それらがメインディッシュのコリテご飯へと昇格する。
コリテとは、ここぞとばかりに食べるだけのお祭なのだ。

断食を無事に過ごせたことを祝う意味があるとはいえ、
最後は家畜の餌になるとはいえ、やり過ぎな印象は拭えない。
マルシェごとコリテご飯になるあの感じ。
その翌日以降、実はしばらくしなびた野菜しか売ってなかった

そんなコリテのことをセレール語ではcunri ke(チュンリケ)と呼ぶ。
だから挨拶にはNam cunri ke koy?(今回のコリテ、どう?)と聞かれる。
その答えはだいたいAa feraa trop!!
意訳すれば「もう、最高!!」ってことだけど、
字面通りに解釈すると「半端なく美味しい!」だったりする。
ちなみに、11月頃に迎えるであろうタバスキ(犠牲祭)。
こちらもコリテ同様にcunri keと呼び、やっぱり朝から晩まで羊料理のハシゴ祭。
もちろん、コリテとタバスキを区別していないわけではないが、
そうやって呼ぶ。
いわばcunri ke=フードファイター祭なんだろう。


さて。今回で2回目のコリテ。
去年過ごしたタバスキ、タマハリでの様子を鑑みても思うのは、
「女性が生を決め、男性が死を決める」ということ。
ちょっと極端な表現だけど。

というのも、お祭やお祝ごとに行われる家畜屠殺は男性の役目だし、
それをご飯にして家族や子ども、周りの人たち、
家畜にまで分け合っていくのは女性の役割。

日常的に見た場合、鶏売りだって、鶏を売るのが女性でも、
それを屠殺してくるのは小学校4年生くらいの男児だったりする。
どう考えたってジャイ・フォンデおばちゃんの方が鶏を殺せそうなのに、だ。

ちょっと話は飛ぶけれども、ここセネガルには離婚したという女性が意外と多い。
若くたって老いていたって。
「こんな相手じゃ自分も子どもも生きていけない」と思ったら、
収入は少なくても自分の身の丈にあった仕事を見つけて、離婚するようだ。
思い切りがいいというか、セネガル社会が(女性の)離婚に寛容なためか、
ついでに大家族というソーシャル・セキュリティを頼りにできるためか、
ここでもある種、「女性が生を決める」という部分は実践されているのかもしれない。

以上、思い込みにさらなる思い込みと希望的観測を重ねた推論的与太話でした(笑)。
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2011.08.31 / Top↑
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